ENGの存在意義とは

放送業界におけるENGとは。ご承知のとおりエレクトロニック・ニュース・ギャザリングのことで、かつてはフィルム取材の対義語として用いられた用語です。現在は別の意味になっていますが、このENGについて。今後どうなるかを少し考えてみたいと思います。

ENGを標榜できる条件

ENGとは「業務放送用マニュアルレンズを装着可能な、ショルダータイプの業務用カムコーダー」。これが一応の俗定義とされています。俗定義とは…厳密な本来の意味、ではなく「そういう風に認識されている」ということ。要は「業界での一般的な認識」を示しています。

つまり「大型のカメラがENG」ではないし、たとえショルダー型でも「ENGレンズが装着できなければ」ENGとはいわない。なので、かつてのDSR-250はENGではないし、CANON XL-H1AなんかもENGではない。ましてHD2000などまったくENGではない。

一方難しいのは、いくらマニュアルレンズを装着できるからといっても、たとえばS270JはENGか? といわれるとそれもビミョー…。つまり結局、ENGというのは「見た目のそれらしさによって」人間、それも専門の人間が恣意的に判断しているにすぎない、ある種の「官能基準」といえます。

ENGを運用するメリットは?

 

それはともかくこのENG。デジやハンディカムよりも圧倒的に大きく、消費電力も多く、そして周辺機材も重く大きく、常識的には1人で運用することも難しい。これだけウィークポイントがあるんですから、その対価としてのメリットや、使わなければならない理由が絶対にあるはずです。では実際それはどうなのか?

…残念ながら、今現在となってはENGならではの「対価的メリット」も「使う理由」もないのが現実です。

たとえば。昔であれば、そもそもカセットサイズが大きかったためENGのサイズでないと製品が構成できない「原理的理由」があった。しかし現在はメモリーなので、そんなことはそもそもない。

さらに「イメージャーサイズが2/3だから、筐体を大きくしなければ作れない」。昔はそれが常識とされていましたが、この「嘘」もばれてしまった。なぜなら、今やコンデジのサイズで2/3よりも大きいフルサイズカメラすらあるのですから。

画質の点でも同じです。「ENGだから高画質」ということはありません。画素数的にもイメージャー的にも、ENGの筐体でないと実現できない画質は、もはや存在しないのです。

報道がENGにこだわる理由

となると…いったい何のために報道のクルーは、あのデッカくて重くて取り回しも大変なENGを使っているのか。残る理由はただ1つです「見るからに大仰でそれっぽく、威圧感がありカッコイイから」。

そう、今やENGの存在意義は「見た目」だけなのです。あるいは「カッコイイから」という理由だけ。何だか信じられないような子供っぽい理由ですが、厳密に分析するとこういうことになります。

ですが当社は、そんなENGにあえてこだわっています。なぜなら、当社代表が機材マニアだから(笑)。そこには損得を超えた「何か」があるんですよね。好きだからやっている。理由はそれだけ。だからこだわっているのです。その意味では、報道の現場におけるENGの存在意義と完全に同じ(笑)。

ENGカメラが消える日

 

まぁこれは逆に言えば、いつの日か放送業界も冷静になり、ENGが消える日がくるのかもしれないことも意味しています。。技術面ではもはや存在しなければいけない理由はなくなっているわけですから。となると。ある日を境にENGが現場から見られなくなるというのは、まんざら笑い話ではないのかもしれませんね。当社代表としては寂しい限りですが。